読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

zumaのはてなブログ

この世で一番好きなのは、本を読むことと歩くこと(「ぐりとぐら」風に♪)

『二十億光年の孤独』

 昨日までの十億年、明日からの十億年を考える。そして、その間にある今日を生きる僕。カンブリア大爆発が起こったのがやっと五億年前だから、十億年ていうのは宇宙を感じる。そして明日からの十億年を想像するとどうなんだろう。地質学的には今の時代は人新世に区分することになるという説があるが、そもそも十億年後に時代区分してくれる知的生命体は存在するのかな、まあなんらかの形でいそうな気はする。僕らの文明も、このはてなブログに電磁記録で書いているこの文章もみんな地層の中に閉じ込められて化石になるのかな。

僕はものごごろついたときからずっと本とともに生きてきた(まあ誰でもそうかもしれないが)。でも、詩というものは、なんだか特別なもののように思っていた。特別というか、何だかよそよそしいもののような感じがしていた。人に勧められて、ゲーテとかホイットマンとか中原中也とか読んではみたものの、あまり面白いとは思わなかった。それより、散文や物語の方へ惹かれて、そっちの方面を読み漁っていたように思う。

先日、谷川氏のライブで生身の本人と同じ空間を共有して、自分の中に化学変化が起こったのか、気が向いて詩集を手に取ってみた。僕もある程度年輪を重ねたせいか、病気をしたせいなのか、今までと違う印象を受けた。面白い、のである。昔は理解不能、と思えた文字列が、今では理解するものじゃないんだって思える。どちらかというと、「存在」を感じる。並んでいる行が、そして行間が、「存在」を主張している。自分という存在と詩から発する存在が合い向かい合っている状態というのかな。言葉にするのは難しいが、あえて言葉にしてみると、見知らぬヒトとヒトが同じ電車内に居合わせたとする。その時点ではお互い無関心。でもなにかのきっかけでふと目線を合わし言葉をかわす、そうすると関係が生じる。その後のお互いは全くの無関心ではいられない、言葉をかわさなくても、お互いの存在を感じている。そんな「存在」の感じを詩から受ける。

収録されている中で好きな詩・・・「祈り」「二十億光年の孤独」

※いろんな版が重ねられているが、僕が読んだものはアマゾンには無かったので、文庫版を引用しました。

二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9)

二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9)