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zumaのはてなブログ

この世で一番好きなのは、本を読むことと歩くこと(「ぐりとぐら」風に♪)

日記の効用をひとつ発見。自己覚知の効果。

はてなダイアリーをつけはじめてから一年分の文章を読み返してみた。俺って気分のむらがめっちゃ激しいのが良くわかる(笑)。スイッチが入って生産性が高まるモードになると集中して力を出すけど、モードから抜けた途端にスイッチがOFFになる。波が安定しておらず振幅が大きい。

生産性が高まるモードを主観的に思い返してみると、僕は自分のなかに入っていっている。

僕はよく自分を見失う。自分はなんのために頑張っているのか、そしてなにを頑張っているのか・・。そんなとき僕はもっともっと足下を掘りたいと思う。そして、かつて老人病棟でみたあの光景を思い出したい。ヒトが生きて生き抜いてたどり着いた場所を。人はなんのためにいきてるんだろう?いきるとはなにか?

老人病棟の患者には元大学教授と元ストリッパーがいた。彼らをみたときからずっと人生で起こる大抵のことは許していいような気がしている。

自分を見失うのはなぜ?僕はひとつの仮説を得ている。自分の直感を否定するからだ。その否定は内なる声が反射的に行う。たぶん長年の習慣によるものだと思う。否定は不全感、自己不信の原因でもある。どうすればいい?正しいかどうか分からないなどと否定せず、やりたいことはやってみることだ。

人生はカオスであり、行うことが答えだ。正解があると錯覚して間違うことを恐れて何もしないのは愚かだ。

バイトで勤めたスナックのママがいっていた。「1たす1は2じゃないのよ」と。決まりごとが先にあるのではない、決まりごとは作るものだ。発見するものだ。

振り返ると僕は・・・正しいこと(定義しづらいが)ばかりをしてきたわけではなくその反対のこともしてきた。反対のことをしたときに自分をきちんとみつめてこなかったのではないか。なぜ自分はそれをしたのか。せざるをえなかったのか。磨いていないスキー板に張り付いてくる雪の塊のように、解決されない思いは僕のなかに根付いている。

今が雪かきのときだと思う。根雪を取り払い地表を外気にさらし、さらに地下へと掘っていくのだ。

過去の問題が解決したとして、なるべき僕というのはどんな人間だるう。悩みのないひとか?いつも笑っていれればよいのか。それよりも、悩むべき外的なあるいは内的な問題が出てきてもまっすぐに見つめて対処していく人間でありたい。